Apr. 11, 2024

昇進などの長期インセンティブと業績給などの短期インセンティブ―どちらの効果が大きいか?

都留 康 (一橋大学名誉教授), 大湾秀雄 (早稲田大学政治経済学術院教授)

Examining the Effectiveness: Long-Term versus Short-Term Incentives

Tsuyoshi Tsuru (Hitotsubashi University, Japan), Hideo Owan (Faculty of Political Science and Economics, Waseda University, Japan)

要旨Abstract

 本コラムでは、両著者のManagement Science 掲載予定学術論文、Bicheng Yang, Tat Chan, Hideo Owan, and Tsuyoshi Tsuru. “Incentives from Career Concerns in a Contract Package: An Empirical Investigation” の内容を一般向けにわかりやすく解説する。

 This column provides a general, easy-to-understand explanation of the content of the authors’ article, “Incentives from Career Concerns in a Contract Package: An Empirical Investigation,” which will appear in Management Science.

本文Text

背景:人事制度のインセンティブ設計をどう進めるべきか


 モラルハザードを解決するために、多くの場合、企業は業績連動型報酬スキームという形の明示的短期インセンティブと、昇格・昇進や異動といった暗黙の長期インセンティブ(キャリアコンサーンとしばしば呼ばれる)とを組み合わせた契約パッケージを従業員に提供する(Fama 1980,Gibbons and Murphy 1992)。後者の暗黙のインセンティブには、経験蓄積と共に基本給が調整される昇給と、昇進・降格や横への異動を含むキャリア移動の二つがある。特に、肩書や権限が変わる場合は、社会的地位の変化という非金銭的インセンティブも加わることになる。長期インセンティブは契約に明記されることはなく、企業の人事管理方針に明記されるか、あるいは過去の慣行によって示される。
 インセンティブ設計上注意しなければならないのは、この2 つのインセンティブは、個人によって作用の仕方が異なるということである。たとえば、若い従業員にとっては、キャリアアップが仕事にどれだけ努力を投じるかの意思決定において大きなウェイトを占めるかもしれない。その一方で、定年間近の従業員にとっては、そうした長期的目標はあまり意味がなく、金銭的報酬が最大の関心事となるかもしれない。
 本稿で紹介する研究は、明示的・暗黙的なインセンティブが従業員の勤務成績にどの程度影響するかを明らかにしている。インセンティブが従業員に与える影響を定量化することで、2 つのインセンティブをどう操作すれば企業の利益を向上させることができるのかを提案することが可能となる。

方法:動学的構造モデル


 本研究では、将来の報酬に対する予想が従業員の努力に影響を与えることを可能にする動学的構造モデルを開発した。分析対象は、日本の大手自動車販売会社1 社の新車営業社員340 名で観測期間は1998~2005 年である。販売課長への昇進は、金銭的報酬のみならず、職責、職場環境、社会的地位の向上を伴う一方、非営業職種への異動は、報酬や将来の処遇の点で多くの場合マイナスである。また、キャリアパスにおいて行き詰った時、社員が外部労働市場に機会を求めて退職する可能性も考慮する。
 詳細は論文に譲るが、基本的には、関数や確率分布に一定の仮定を置いた上で、昇進確率や非営業職種への異動確率については実際のデータから社員属性や業績に条件付けした客観的予測値を全社員が知って行動すると仮定する。その上で定年までの効用が最大となるよう、社員各自が毎期最適な努力水準を選ぶという前提から、実際の業績データを最も上手く説明できるパラメターの推定を行う。
 データの2 つの特徴が、モデルの同定に大きく寄与した。まず、当該企業は観測期間中2 度報酬制度の変更を行っている。歩合率が変化することで最適な努力水準も有意に変わる。2 つ目に、報酬制度の最初の変更により、営業社員は、歩合の合計が基本給を超えなければ基本給を受け取り、歩合の合計が基本給を上回れば差額を業績給として受け取る(つまり歩合合計額を受け取る)ようになった。そのため、制度変更後の努力水準は、基本給の高さに大きく依存するようになる。こうした異質性の変動も、パラメターの推定に寄与した。
 さらに、社員の異質性を捉えるため、制度変更への反応が異なる2つの社員グループが存在すると仮定した。グループ1 は経験蓄積などを通じて仕事に努力を投じる際のコストが低いグループで高業績グループと呼ぶ。グループ2 は努力コストが高いグループで低業績グループと呼び、若年社員が多い。制度変更前(1998 年4 月~2000 年9 月)と1 回目の制度変更後(2000 年10 月~2004 年3 月)のデータを使ってモデルの同定を行い、それを用いて2 回目の制度変更後(2004 年4 月~2005 年10 月)の予測値を導出し検証を行ったところ、ほぼ現実の動きを再現できることがわかった。ちなみに、2 回目の制度変更では、業績給の過度の変動を避けるため、歩合合計額の2か月移動平均と基本給との差を業績給とした。今月の努力のリターンを今月と翌月の二か月に分けて受け取るので、インセンティブ効果は変わらないことに留意されたい。

結果:長期的インセンティブと短期的インセンティブの両方が必要


 特筆すべき結果は以下の3 点である。
 まず、営業社員にとっては、昇進の非金銭的付加価値はきわめて大きい。昇進から得られる非金銭的価値は、キャリアコンサーンの強い若年社員が多い低業績グループの社員にとって、月平均210万円程度の金銭換算価値に上り、昇進可能性がモチベーションの強い源泉となっていることが分かった。それに対し非営業職への異動は、グループにより違いはあるが、金銭換算価値で概ね月-50万~-75万円程度の損失と見なされていることが分かった。
 次に短期的(明示的)インセンティブと長期的(暗黙的)インセンティブの効果を分けてみるために、①昇給のみ、②業績給のみ、③昇給とキャリア移動昇進と非営業職種への異動)、④昇給と業績給、⑤昇給と業績給とキャリア移動、それぞれのシナリオのインセンティブ効果を個別にシミュレーションで推計してみた。たとえば、昇給と業績給というシナリオの場合、昇進や異動の可能性が全くないという仮定で昇給制度と業績給の導入の効果を推計するわけである。
 その結果は図1 のようになった。ここでの重要な結果は二つある。まず、短期インセンティブである業績給よりも長期インセンティブ特にキャリア異動の方が効果は高く、それは努力コストが高い低業績グループで特に差が顕著だ。2 つ目に、短期インセンティブと長期インセンティブの間には補完性があり、両方導入した時に、インセンティブ効果は最も高い。つまり図1 で、「業績給制度のみ」の場合の平均粗利益と「昇給制度+キャリア移動」の場合の平均粗利益を足し合わせても、「昇給制度+業績給制度+キャリア移動」の場合の平均粗利益にはどちらのグループでも届かない。
 最後に、昇給率、業績給、キャリア移動の業績への感応度を、それぞれ個別に段階的に引き上げるシミュレーションを行ったところ、いずれも粗利益の増加につながった。つまり現在のインセンティブはどの経路で見ても弱すぎるということだ。また、キャリア移動の業績への感応度の引き上げは特に、努力コストが高い若年層を中心とする低業績グループに対してインセンティブ効果が高い。このことは、実力主義のキャリア移動が若手のやる気を高めることを示唆する結果といえる。

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書誌情報Bibliographic information

Vol. 75, No. 1, 2024
Article Number: er.cl.032424
DOI (Link to J-STAGE): https://doi.org/10.60328/keizaikenkyu.er.cl.032424